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「ストレス解消法」の存在自体がストレス社会を助長している

photo by Gallivanting Gai

ストレス解消は人によって様々あるでしょう。 スポーツ、ドライブ、音楽鑑賞などのオーソドックスなものから、アロマグッズを使ってリラックスするもの、中にはやけ食いや衝動買いなどの過激なものまでいろいろあります。

個々人によって違いはありますが、それぞれがストレス解消法を会得しています。 そして、平日にたまったストレスを休日に解消してリフレッシュし、再び仕事に臨むサイクルを繰り返していることでしょう。

ですが、ちょっと待ってください。 そもそも意図して解消しなければならないほどのストレスを感じること自体が異常状態ともとらえられないでしょうか?

生きている限りストレスと無縁ではいられない

ストレス(Stress)とは生活をする上で様々なものから自身に与えられるプレッシャーや負荷のことを指します。

ストレスは生物が生きている限り避けて通れないものです。 他人とのコミュニケーションはもちろん、一人でいてもストレスを感じることはありますし、暑い寒いなどの気候の変化でもストレスの原因になり得ます。 それこそ、世俗から離れた生活を送り、悟りを開いた状態にならなければストレスと無縁である事なんてあり得ません。

近年ではストレスが原因で肉体的精神的な部分に影響を及ぼし、病院送りになる事例も少なくありません。 ストレスの軽減は現代人の課題になっています。

現代はストレス過負荷状態

ですが、ちょっとしたストレスなら、わざわざストレス解消なんてしなくても自然と解消されます。 また、適度なストレスを感じることでパフォーマンスの向上を図ることができますし、必ずしもストレス自体が悪者であるともいえません。

しかし、現代はひとりひとりに過剰なストレスがかかる、ストレス過負荷状態であると言えます。 こうなってしまうと自然にストレスが抜けるなんて事は期待できなくなりますし、ストレスによるパフォーマンス向上よりもデメリットの方が大きくなってしまっています。

こんなストレス過負荷状態になってしまった原因に一つとして、様々なテクノロジーの発展により生活の変化のスピードが上がりすぎたことがあげられます。 人間が一日に処理しなければならない情報量は100年前と比較しても何百倍にもなりました。 社会人であれば、ほんの数十年前と比べても、たくさんの仕事を処理しなければなりませんし、そのクオリティにしても以前より高いものを要求されます。

現代人は日常的に過重にかかるストレスのせいで、いつ誰がパンクするか分からないチキンレースを強いられているのです。

個人でストレス解消することが当たり前のようになっている

各種メディアではストレス解消法を紹介していたり、ちまたにはストレス解消グッズがあふれていたりと、各々のストレスは各々で処理することが当たり前になっています。 ストレスとうまく向き合っていくこと、それはすでに社会人の、むしろ日本に生きとし生けるものが身につけるべきスキルともなっています。

そう、日頃のストレスをコントロールするのは個人任せになっているのです。 そして、社会には個々人の対応に甘えて、あまつさえ個人にいくらでもストレスをかけてもいいという、とんでもない意思形成があると言っていいでしょう。

こんな社会ではストレス耐性が低い人、ストレスを上手に処理できない人、そして尋常じゃないストレスが短期間にかかった人などは社会から脱落せざるをえないのですが、そう言った人にさしのべられる救いの手はなく、逆に「自己責任」といって追い打ちをかける始末です。

あなた自身が誰かのストレッサーになっていませんか?

ストレスは現代社会において不可避の事象ですが、それをあなたが誰かにむやみやたらとストレスを与えても言いという免罪符にしてはいけません。

心ない言葉で誰かを傷つけてはいませんか?
自分のストレス解消のためにと、誰かに自分のストレスをぶつけてはいませんか?
そして、ストレスをうまく処理できないがために、ぶつぶつと弱み嫌み妬みを呪詛のようにつぶやいてはいませんか?

人を呪わば穴二つという言葉がありますが、誰かにむやみやたらとストレスを与えるような行動をとれば周囲の雰囲気が悪くなるばかりで、それは自分自身にも呪詛返しのように跳ね返ってきます。

こうなってしまったら長めの休息をとってストレスの原因となる社会活動から離れるべきです。

改善は先の話でしょう

生きている以上はストレスからは逃れられないにしても、個々人に必要以上にストレスを与えないストレスフリーな社会に向け、社会全体が努力をすべきです。 ですが、ストレスフリーな社会が実現するのは残念ながらずっと先の話でしょう。

その一因として、日本で行われてきた全体主義的思想の色濃い道徳教育の影響があります。 社会をよりよいものにしようという努力を個々人の人格を抹殺してまで遂行した結果、日本は外から見る分にはいい国になりましたが、そこに生きる人にとっては生きづらい国になってしまいました。

これまでの人生を全否定される就職活動を乗り切ったと思ったら、今度は人権を剥奪された奴隷のような労働が40年待っている。 こんな現状の国が急にストレスフリーに向けた舵取りするなんて、寝言でも口にできないですね。

このストレス過負荷状態や個人責任にてストレス解消を強いる傾向が改善されるのは何十年も先の話でしょう。 ですが、社会は人の意識の集合体ですので、一人一人が自分にも他人にもストレスフリーな社会を目指していけば、社会もそれに呼応することでしょう。

真のストレスフリー社会への道は険しく厳しいものになるでしょうが、それでもストレス解消法なんて対処療法ばかりに頼るのではなく、社会自体のの変革を促して行かなくてはならないでしょう。